なぜ、手術しかないと言われた人々が手技で治ってしまうのか?
その理屈を理解するには、今まで、誰もが信じてきた“痛み=骨”という通説を捨てる必要があるのですが、医学を必死に学んできた人であればあるほど、「そんなわけない」と反論したくもなることでしょう。
私も人一倍、いや人10倍勉強してきましたから、この事実を受け入れるのに、最初はかなり抵抗がありました。
というのも今まで必死になって学んできた整形外科の教科書には、腰が痛ければヘルニアや脊柱管狭窄症、膝が痛ければ変形性膝関節症と、痛みの原因は骨であるという説明に多くのページが割かれていて、その内容を散々頭に叩き込んできたわけですから。
しかし、治すことにこだわり、結果のみに焦点をあて治療していると、現在、多くの人が信じているこの“痛み=骨”という大前提が、どうしてもおかしい…と感じるようなケースに多々出会うのです。
ですから真剣に痛みと対峙し続けている治療者であれば、必然的に誰もがこれまでの医学的常識(=こだわり)を捨て、フラットな気持ちで事実に基づく新常識に書き換えざるを得なくなるはずなのです。
「医学的常識やこだわりを捨てろ…。」だなんて言葉を聞けば、お医者さんやPTなどの医療従事者、とりわけ必死になって真面目に勉強してきた人であればあるほどきっと受け入れがたい気持ちになるでしょうが、私の主張は、決して医学的常識を軽視しろという意味ではありません。
というか、むしろ医学的知識(=常識)を重要視して、それを基本の型と捉え、それに基づき治療を進めていく事が大前提だと考えています。
ただ、その基本の型に固執し、そこで思考がストップしてしまうレベルで治療していると、痛みを抱える患者さんを前に、現場で立ちゆかなくなる場面が多々あるのです。
「守・破・離」ってご存じですか?
千利休が唱えた修業における進歩のプロセスを表す言葉なのですが、修行においてはまず師匠から教わった型を徹底的に「守る」ことが重要とされています。
「守」とは師や流派の唱える教え・型・技を忠実に守り、身につける段階の事です。
次いで他の師や流派からも良いものは取り入れ、今までの型を破る「破」の段階を経て、そしてさらに鍛錬・修業を重ねた末に、ついには型からも「離れ」、自分独自のスタイルを確立し、自在となる。
このプロセスは治療の世界でも同じで、まずは医学という“流派”が唱える教えを長年かけて基礎から徹底して学び、基本の「型」をしっかり身につける。これがなければ、型を破り、さらには型を離れ自在の境地に立つことなどできません。
ですから医学的知識なく、基本の型を会得しないまま、いきなり思いつくまま好き勝手にやれば、それっぽいことはできたとしても、それは「形無し」となってしまいます。
そんなのは治療とは呼べない偽物ですから、医学的知識を学ぶことは無駄どころか、絶対に必要なのですが、そこで立ち止まってはいけません。
むしろ、常に今まで学んできた常識を疑い、その先を追求していく気概がなければ、今以上のプラスを患者さんにもたらす事はできないのです。
実際、医学というものは有史以来、過去の常識を覆し続けながら進化発展してきわけですから。
そういえば、数年前までは、ゆで卵を食べ過ぎるとコレステロール値が上がるから駄目だって言われていましたが、今はもう違いますよね?
こんな風に医学的常識というのは、どんどん書き換えられていくものなので、慢性痛の原因も同じく、最新の事実に基づいた新たな常識に書き換えられて然るべきなのですが、現実的には厳しい…。
というのも現状は、慢性痛=骨の老化という理屈の基、ヒアルロン酸注射やグルコサミンといった薬剤が大量流通している世界なので、これを否定するような新常識は既得権益にとって不都合だからです。
ただ、真実は、既得権益の都合とは関係ありませんし、あくまで一つなので、いつかは明らかになっていくのだとは思いますが、現状は、私の治療を受けて痛みが取れた人にしか『痛みの原因は骨ではない』という事実が理解されないという歯がゆい結果にしかなり得ません。
私がどんなに真剣に訴えても、所詮、千葉の一整骨院の院長如きでは、誰もこのような話を信じないのは当然でありますし、多くの人が私のような臨床家よりも、どこどこ大学の大学教授や何々記念病院の医師といった権威者の話の方に耳を傾けるものです。
私ですら専門知識が無い分野でしたらやはり権威者の話がとても気になります。
しかし、もし私の話が真実でないならば、なぜこれほどまでに私の治療院に患者様が訪れるのか…、何の宣伝もしていない口コミだけの治療院なのに、どうして数ヶ月先まで予約がパンパンに埋まってしまうのか…、その事実に注目し、事の真偽を考えてみて欲しいのです。
昔の刑事ドラマで「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」というのがありましたが、正にその通りで、研究室で考えられた机上の理論は、実際の患者さんの前では通用しない場合が多々あるのが現実です。